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天神発、魚島来(おとこ)めしと元寇の歴史にふれる旅

2019年03月19日 12:00 by 山内淳

アジフライと松浦党(まつらとう)の歴史にふれる旅」に続く後編は、鷹島(たかしま)に残る元寇の歴史を巡るプランをご紹介。平成21年4月に開通した「鷹島肥前大橋」は、佐賀県唐津市肥前町と松浦市鷹島町を結ぶ橋長1,251mの斜張橋で、無料で渡ることができます。

唐津市肥前町から「鷹島肥前大橋」を渡って松浦市鷹島町に入ると、すぐの場所に『道の駅 鷹ら島(たからじま)』があります。「ようこそ鷹島へ」のメッセージと共にフグのモニュメントが設置されているのは、松浦市が養殖トラフグの生産量が日本一だからなんです。

松浦市は、養殖クロマグロ(本マグロ)も日本有数の産地。『道の駅 鷹ら島』で第2・4土曜日の10時から行われるクロマグロの解体ショーは必見です。この日登場したのは、50~60kgのクロマグロ。大きなマグロを手際よく捌き、職人さんがみるみるうちに切り分けていきます。

大トロ、中トロ、赤身、中落ち、アラと切り分けたら、お待ちかねの即売会がスタート! 中落ちはすぐに売り切れてしまうので、事前に予約しておくのがおすすめです。

店内には生簀があり、魚介類や加工品、農産物もたくさん揃っています。

■道の駅 鷹ら島(たからじま)
住所:長崎県松浦市鷹島町神崎免1636

 

さて、みなさん「元寇」って覚えていますか? 鎌倉時代中期、1274(文永11)年の文永の役と1281(弘安4)年の弘安の役の二度にわたり、当時の中国大陸を支配していた元(モンゴル)軍から侵攻を受けた出来事です。1281年7月30日の夜、総勢約4,400隻の船と14万人といわれる元軍の船団が暴風雨により、鷹島南岸の海域に沈んだと伝えられています。鷹島は元寇終焉の地であり、『松浦市立 埋蔵文化財センター』では周辺の海底から発見された「元寇」の遺物が展示されています。

エントランス上部の絵は、肥後国御家人の竹崎季長(すえなが)が自身の奮戦を描かせた「蒙古襲来絵詞」という絵巻物の一部で、教科書で見たことがある人も多いはず。この竹崎季長ら武士団と共に、前編に登場した「松浦党」も伊万里湾や博多湾を守るために戦ったのです。

2018年3月に施設を一部リニューアルした『松浦市立 埋蔵文化財センター』に入ると、パネルで「元寇」について分かりやすく解説しているほか、「管軍総把印」(長崎県指定有形文化財)や鉄刀、矛、矢束、古銭、絵巻物に描かれた炸裂弾「てつはう」などを展示。

昭和55年から鷹島海底遺跡の調査が行われており、その活動の様子が水中調査VTRやパネルで解説されています。

元寇船への乗船体験、海底遺跡の潜水体験、てつはう的当てゲームなどのVR(仮想現実)や、トリックアートも楽しめます。そのほか、スマートフォン用アプリ「AR(拡張現実)蒙古襲来~甦る元寇船~」をインストールして、松浦市内各所で伊万里湾の海にスマホをかざせば元寇船団が甦ります。

『松浦市立 埋蔵文化財センター』では遺物の展示だけでなく、脱塩処理水槽や含浸装置などによる遺物の保存処理と分析・研究も行っています。「大イカリ展示コーナー」では、海底から引き揚げられた木製の大イカリ(写真右)を展示。床に描かれているのが原寸大の大イカリで、黄色く塗られた場所が展示されている部分です。イカリの長さ(中心部)は2.66m、欠けていなければ推定約7.3m。重量は重りとなる2つの碇石を含めて約1tだったとか。このことから元軍の船は、全長40mほどの大きさだったと推測されるそうです。

鷹島海底遺跡の海域を望む展望台からの眺め。鷹島海底遺跡のなかでも元の軍船発見地を含む約384,000㎡が、日本の海底遺跡では初となる国史跡「鷹島神埼(こうざき)遺跡」として指定されています。

■松浦市立 埋蔵文化財センター
住所:長崎県松浦市鷹島町神崎免146

 

ランチは明治元年創業の『旅亭 吉乃や』へ。いただいたのは松浦市鷹島町のご当地グルメ「魚島来(おとこ)めし」。漁業が盛んな鷹島では、漁師の間で「おとこやま」という丼料理が食べられていました。これをアレンジしたものが「魚島来めし」で、その名の由来は「島に魚を食べに来てほしい」という願いが込められたものです。「魚島来めし」は酢飯ではなく温かいご飯の上に松浦で捕れた魚の刺身を3種類以上のせ、ゴマ醤油のタレをかけて食べるのがルール。季節や店によって魚種や提供スタイルが異なっており、『旅亭 吉乃や』ではご飯の熱が伝わり過ぎないように、刺身は別皿で提供するのが特徴です。

■旅亭 吉乃や
住所:長崎県松浦市鷹島町阿翁浦免649

 

続いてやってきたのは伊万里湾を望む『鷹島モンゴル村』。現在、こちらは休村中で温泉や飲食店などの施設には入れませんが、モンゴル草原やコンビネーション遊具、草スキー場(草スキー用のソリは要持参)、遊歩道、ゲル広場などは無料開放しています。

 

こちらには「鷹島町」の“鷹”にちなんで、福岡ソフトバンクホークス必勝祈願の地としても知られています。王貞治会長による「必勝」の文字と共に翼をV字に広げた3羽の鷹のモニュメント、日本シリーズチャンピオンやパ・リーグ優勝の記念碑を設置。記念碑には王貞治会長をはじめ、選手たちの手形とサインも展示されています。

■鷹島モンゴル村
住所:長崎県松浦市鷹島町阿翁免1646-1

 

『宮地嶽史跡公園』は、昭和45年に整備された史跡公園。玄界灘が一望できる高台には、宮地嶽神社、愛宕神社が祀られており、国土防衛の先駆けとなって奮戦した武将や元寇の犠牲となった島民の霊を慰める五輪塔、元寇記念之碑が建っています。

■宮地嶽史跡公園
住所:長崎県松浦市鷹島町阿翁免1030

 

対馬の守護代・宗助国(そうすけくに)の家臣である小太郎は、1274年の文永の役の際に対馬から元軍の襲来を大宰府へ報告するという使命を果たし、その後、博多の防衛戦に参加しました。1281年の弘安の役でもめざましい活躍を果たしました。鷹島で奮戦中に重傷を負い、自刃したそうです。小太郎はその時、「我が屍を埋めるに対馬を望むべき丘陵に於いてせよ」と言い残したため、対馬を望むこの丘に『対馬小太郎の墓』が建てられています。

■対馬小太郎の墓
住所:長崎県松浦市鷹島町里免

 

1274年の文永の役で鷹島に上陸した元軍は、島民のほとんどを虐殺しました。船唐津免の開田(ひらきだ)付近は当時山深く、人目につきにくい山奥の一軒家に8人家族が住んでいたところ、不幸にも飼っていた鶏が鳴いたため元軍に発見されてしまいました。そして7人が殺され、灰だめに隠れていたお婆さん1人だけが助かったそうです。それ以来、開田では鶏を飼わないと伝えられています。当時の古塚跡に祖先の霊を慰めるため、『開田の七人塚』が建てられています。

■開田(ひらきだ)の七人塚
住所:長崎県松浦市鷹島町船唐津免

 

松浦市の中でも、蒙古襲来の激戦地であり元寇終焉の地となった鷹島。元寇は教科書の中での出来事ではなく、実際にこの地で起こった出来事です。伊万里湾の向こうにある玄界灘は日本有数の漁場で、鷹島では新鮮な海の幸を盛り込んだ「魚島来めし」が堪能できます。歴史とご当地グルメを楽しむ鷹島の旅もおすすめです。

取材・文:山内淳
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