ひと

つむぐ想い。つなぐ未来。conext:vol.1 中田泰平さん

2016年08月18日 12:00 by 山田 祐一郎

CONEXTはアクションを起こしたい人たちに贈る情熱伝播サイトです。自分らしくカッコよく生きる大人たちはどのように働いているのか、なぜいつもやりがいのある現場にいられるのか、どうしてやりたい仕事が巡ってくるのか。一方で夢を追う若者たちは何を考え、今、どのように行動を移そうとしているのか。そんな大人と若者をCONNECT(繋ぎ合わせ)して、NEXT(次)ステージへ。



彼の周りには常に「面白そう」「楽しそう」が集まってきます。例えば、中洲の街がジャズ一色で染まる「中洲ジャズ」、福岡を愛する人たちを全力支援するために立ち上げた、福岡盛り上げ企画のプレゼン&ブレストイベント「フクコン」、食やアート、エンタメなど多様なコンテンツを盛り込む水辺のイベント「MINATO SALONE 2015」。イベントだけではありません。街場の人気レストラン、商業ビル内の高感度ショップ、そして最近で言えば、オープン前から話題沸騰の水上公園エリア―——これら全てに関わっているのが中田泰平さんです。

なぜ中田さんの周りにはいつも“楽しそう!”なことが溢れているんでしょうか。社長だから?人脈があるから?行動力があるから?はたまた運が良いから?その秘密に迫ります。

――今の仕事に就いたきっかけを教えてください。
よく聞かれるんですが、ぼくは2代目なんですよ。ただ、先代の跡を継ぐつもりはありませんでした。そもそも実家がどんなことをしている会社なのかもよく分かっていませんでしたし。

――クレアプランニングで働く以前は何をされていたんでしょうか?
元々工学部の理系人間だったので、そういった企業さんでの働き口はあったんです。ただ、そういう研究機関って、人里離れた山奥にあるじゃないですか。お給料や待遇なんかはかなり良かったんですが、想像するだけで、それは無理だなと思えて。それで何をするわけでもなく、ふらふらとしていました。ただ、「このままではマズイ!」と思って、まずはちゃんと昼間に働こうと考え、バイトを探し始めたんです。その中で出合ったのが楽器などを販売する「島村楽器」だったんです。2005年まで働いていました。

――音楽関係の職場ということで言えば、ほかにも選択肢はたくさんあったと思いますが。
そんなにあれこれと考えていませんでしたね。音楽が大好きで、クラブミュージック、ロック、とにかくたくさんの音楽に触れてきましたから。これが仕事になれば良いなと思いまして。たまたま求人を見つけたので、面接を受けてみることにしました。本当にそれぐらいの感覚です。今考えると信じられませんが、当日にオアシスのライブがあって、すっかりノエル・ギャラガーに影響を受けた身なりで面接を受けに行ったんですよ。ただ、「DJをしています」と伝えたら、一発で採用されました。本当にタイミングが良かったようです。ちょうどDJ機器の販売に力を入れていく方針で、すんなりと雇ってもらえました。それからは一生、骨を埋めるつもりで働きましたよ。

――DJ活動は頻繁にされていたんでしょうか。
そうですね、毎週定期的に回していました。DJをすると、お酒だってタダで飲ませてもらえますからね。本当に楽しさしかありませんよ。島村楽器のバイトから正社員として働くようになってからは仕事の延長のようでしたね。ターンテーブルといった機材が、回しに行ったほうが売れるんですから。「あのお、ぼくもDJやってみたいんですけど、どうやったらなれますか?」。そんな感じでDJのプレイが終わった後に声を掛けられるんです。そうなってくると、DJ活動とはいっても、立派な営業ですよね。ちなみに“特別枠”をもらっていたんですよ。さすがに朝まで遊んで、そのまま会社に行けないので、DJの翌日は午後出社にしてもらっていました。理解がありますよね。

――楽器店という響きだけで、多くの出会いがありそうな職場を想像します。
まずお客さんがかなり個性的ですよね。自分のことを天才だと信じて疑わない人、全身でパーソナリティを表現する人、毎日、強烈な出会いがありましたよ。

――日々、強烈ですね。
そう、そんな強烈なお客様たちと相対するため、「役者になれ」と言われました。店にいるときは、いつもの自分は横に置いておいて、演じる。そうやっていくうちに楽しめるようになりましたね。仕事でも、プライベートでも、本当に目一杯、遊んできました。一方で、だからこそ、今、ぼくにしかできない仕事ができているとも思っています。



――クレアプランニングでは最初にどのようなお仕事を任されたのですか。
もちろん、最初から全てを任されたわけではありませんよ。営業部署に配属されました。元々、当社は施工オンリーでした。噛み砕いていうと、物づくりのエキスパートが集まる職人集団です。先代も根っからの職人気質で、プロとして、一流の仕事だけを請け負っていました。

――その中にあって異端とも言える営業に?
自分にできることは営業しかありませんでしたからね。とはいえ、跡を継いだ今も、施工や建築についての知識ってそれほど持ち合わせていません。ゼロに近いかな。知りすぎると頭でっかちになって行動できないってことがあると思います。知らないからこそ、業界の常識に捉われないで働けるという側面はありますね。ちなみに、そもそも営業部署はなく、ぼくが入社するタイミングで創設されたんです。

――立ち上げには苦労が付きものです。
ちょうどリーマンショック直前の頃で、業界内でも不穏な空気が漂っていました。だからこそ、今のままではいずれ手詰まりになると思っていました。そんな考えもあり、福岡ではなく、東京に営業事務所を作ったんです。東京事務所の開設は独断で進め、事後報告でした。ぼく自身、設計・施工の営業は初めて。確かに苦労も多かったですが、結果として、東京で踏ん張って良かった。福岡にいたら、大きな流れはキャッチできなかったと思っています。

――他と同じようにはしない、ということですね。
営業のやり方自体も工夫しました。直接的ではなく、間接的に。これをいつも念頭に置いています。ぼく自身、「仕事ください」と真っ向から営業するのが苦手なんです。しかも正攻法でいくと、ぼくが下請け、相手がクライアントという図ができてしまい、価格交渉などもされやすい。だから、自分でも得意だと自覚している“コトづくり”に力を注ぎました。例えば、人と人をつなげること。〜で困っている人がいて、その〜を解消できる人を紹介してあげる。そうなると、何か作ろうという際、真っ先に声が掛かります。アンテナを常に張って、身の回りの人に困っていることはないか気を配り、いつでも何かしらの力になれるように準備をしておく。それがぼくの営業スタイルです。

――コトづくりがモノづくりに戻っていくように仕向けていくということですね。
独創的なやり方だと思いますよ。福岡で同じような営業スタイルをしている会社を知りません。真似しようと思ってもなかなかできませんよね。これもぼく自身に業界の常識、専門的知識がないからこそ、生まれたと思いますね。知らないからこそ、柔軟に動けるし、考えられる。

――水上公園の開発はなんとなくイメージできますが、中洲ジャズといったイベントの立ち上げや運営もクレアプランニングとして関わっているのですか。
街のことは、完全にぼく個人の趣味のようなものです。中田泰平個人として、できる範囲で関わっています。人からやらされるのは好きではないんですが、自分がやりたいことに関してはとても積極的なんです。良く言えば“壮大な遊び”のようなものだと考えています。そもそもぼくが「福岡青年会議所」に所属し、昨年、理事長を務めさせて頂いたのも一つの理由ですね。

――本業と共通する点はありますか。
やるからには、良い施設、良いお店、良いイベントにすること。とても当たり前のことを言っていますが、本当にそれに尽きます。良い場所には、良い人が集まる。そこが重要です。良いというのはとてもフワッとした言葉で、なかなかはっきりとその良さを固定しにくいかもしれません。だからこそ、難しく、やりがいがあります。

――気を遣っている部分は。
時代と地の利を生かすことですね。ぼく自身、目一杯遊んできたからこそ分かることがあります。

――時代も、地の利も、多くのものに触れてきた人にしかわからないもののように思えます。とてもファジーで、良さを断言するのが難しい。
だからこそ、常に敏感でいることを意識しています。味、感覚、何でも時間が経つと慣れてきますから。

――得るものが大きそうです。
そうですね、勉強になることは多いです。ただ、個人のプロジェクトについては、正直、お金にならないことをやっていると思います。ただ、そういうことって、人となりがよく分かるんです。例えば、「お金をもらえる」からがんばる人、これは当たり前。でも、中には「お金がもらえない」のに人並み以上に努力する人もいます。後者の人に感じるものがありますし、そんな人だからこそ、何か別の形でお願いしたいとも思えます。

――中洲ジャズ、フクコン、ミナトサローネ、どれも魅力溢れる企画ばかりですが、これからこういう企画をしてみたいという人にアドバイスを。
どれもたった一つのアクションで実現できますよ。ぼく自身がやっているのは、大きく言えばその一つだけです。「やってみたい」と言うこと。それも、できるだけ大きな声で。言葉にすることでしか、何事も始まりませんから。こういう声掛けは、建物でいうところの壁下地づくりのようなものです。土台の部分がしっかりしていないと、後々、崩れてしまいます。何事も準備が9割。やってみたい!と声に出してアピールするとともに、環境づくりをする。“丁寧に盛り上げていく”感じでしょうか。

――次はどのようなことを考えているのでしょうか。
天神という街そのものを盛り上げたいんです。具体的なイメージは、歩いて楽しい街。街にはいろんな“偶然”が潜んでいます。この街に来ると、そんな偶然に出会える。服を買いに入ったお店で、お気に入りのスポットを教えてもらって、週末、その店にドライブで出掛けると、その店の近くに陶芸の工房があって、今では趣味が陶芸になったとか、これは極端な例かもしれませんが、たまたま居合わせた人と友達になるということでもいいですし、実際にその場に行かないと生まれない偶然性に出会えるような、出掛けたくなる街。ただ歩くだけで楽しい街です。

――そのためにも若い力は必要ですね。
最近の若者は酒も飲まないし、大人しいという声を聞きますが、全然そんなことはないと思いますよ。ぼくのところにはとても“イキのいい”若者が集まってきますから。最近でいえば、成人式をイケてるものに変えたいという若者がいました。前日に大々的なパーティを催し、翌日の成人式にはみんなぐったりしているとか。あとは天神をBBQの街にしたいという若者もいましたね。発想が凝り固まってなくって、パワーがもらえますよ。

――そんな大きなロマンを、楽しそうに語る若者に対して、中田さんは常に“開いて”いるように思えます。
若者が楽しそうにしていない。それは逆にいえば、大人がしっかり場づくりをしてあげられていないということです。いかに誘ってあげるかが大人の役割ではないでしょうか。チャレンジする時に安心して飛び込んでいけるようにしてあげないと。

――若者の巻き込み方一つとっても、アプローチは様々です。
中洲ジャズだって、フクコンだって、全てに関わってもらえますよ。求めているのは、興味力、そしてユーモア。この二つがあれば、十分ですね。


▼中田泰平
1975年生まれ。2002年4月に島村楽器株式会社に入社。05年に退社後、丹創社(現・クレアプランニング)に取締役として入社。現在、クレアプランニングの代表取締役社長を務める。「クレアプランニング」は空間プロデュース事業、商業施設・店舗開発、家具・什器製造販売を事業の柱とし、さまざまな角度から街づくり、そして街の発展に寄与しています。

▼応募告知文面
conextに関わりたい25歳以下のヤル気ある男女を募集しています。以下のフォーマットからご応募ください。


 
●取材を終えて
バイタリティに溢れ、チャレンジ精神の塊。中田さんに対して抱いていたそんなイメージはより一層強くなりました。ただ、そのアプローチはとてもシンプル。大きな声でやってみたいことを常日頃から口にする。ただそれだけで人生さえも変わりそうで、とてもワクワクしました。
ライター/山田祐一郎(KIJI)

取材・文:山田 祐一郎
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