日々是食欲

愛しの西中洲の将来が心配でたまらない

2013年05月09日 08:00 by 弓削聞平

西中洲という町を知ってますか? ぼくのなかでは昔から当たり前のように存在してたんだけど、人によっては中洲との区別がついてない人もいるようだ。地理的には那珂川と薬院新川にはさまれているエリアなのだが、昔からお屋敷や料亭などがあった静かな町で、両隣の天神や中洲という繁華街とはまったく違う様相だ。この町の顔といえば、寿司の「河庄」、焼鳥の「藤よし」、おでんの「安兵衛」だろう。今月20日に発売になる「ソワニエ」の「福岡一のグルメタウン 西中洲は怖くない」でも巻頭企画で紹介したこの3軒は、まさに西中洲の門番でもあるかのように、この静かな町の目抜き通り(という表現は似合わないが)に鎮座している。

ぼくは西中洲には長いこと通っており、「全部行ってはないものの主立った店は把握している」と思っていたのだが、それが今回リサーチしてみると、大きな間違いであることを認識させられた。いやはやとんでもない数の店が存在している。しかも、この狭いエリアのなかでの「いい店率」の高さは類をみない。

いつの間にか寿司店が増えたのもこの町の特徴の1つだ。それも「万魚」「亀松」「河童」など、福岡でも一目置かれる名店が近年他所から移転してきている。飲食店、それも寿司という業態にとってはそれだけ魅力ある町ということだろう。しかし、先にも述べたとおり繁華街ではなく、今でも西中洲の通りは人通りが少ない。1つには予約して行く店が多いからだし、1つには物販やサービス業などがまったくといっていいほどなく、そこそこ滞在時間の長い飲食業ばかりだからだ。そんな人のまばらな町で商売をやっていけるということは、それだけ実力店が多いということだ。この町は実力のある店にこそふさわしいし、実力がない店は長くは続かない。

そしてこの町には、バルやカフェなど、若い人を対象にした賑わいがあったりオープンな感じ店も皆無といっていい。それは町自体がそれらを受け付けない空気を発しているのかもしれない。どこか閉鎖的で不器用なイメージの店の方がこの町には似合っている。しかし、閉鎖的というのは見た目の話。今回の「ソワニエ」にも書いているが、大人の節度をもってドアを開ければ、人情味あふれる心温まる料理や会話が待っている。これこそ、西中洲の魅力だ。

西中洲の話をするときにもう1つ忘れてはならないのが、「クラブ みつばち」だ。言うまでもなく現在、春吉にある「Mitsubachi」とは関係ない。しかし、あそこもよくその店名をつけたものだ。確か経営元は関西の会社だから「みつばち」を知らないのも無理はないが、福岡の飲食業界の人ならちょっと恐れ多くて躊躇してしまうのではないだろうか(若い経営者だともはやそんなこともないかもしれない)。残念ながら「みつばち」はぼくごときが行ける店ではなかったが、まさに博多の伝説となっている店だ。ウェブによると、「終戦直後の1951年、福岡市中央区春吉で開店、56年に西中洲に移転した。井伏鱒二、司馬遼太郎のほか、歴代首相、プロ野球選手らが訪れた。ママの武富京子さんは週刊誌に 『日本の三大ママ』として銀座、京都のママと並び紹介されたことも。体調を崩し2001年1月に閉店、約半世紀の歴史に幕を下ろしていた。」とある(同年9月に武富さんは亡くなった)。この店が中洲ではなく西中洲に店を構えたことこそ、その後の西中洲という町の位置づけに大きな影響を及ぼしたはずだ。一度は行ってみたかったなぁ。

昨今、小さなコーポ、高層マンション、ビジネスホテル、テナントビルなどが続々と建ち、町の景観がだいぶ変わってしまい、それに伴い店の雰囲気や質も西中洲的ではなくなりつつあるのが残念だ。きっとそれは今後も加速度的に進んでいき、いずれは周辺の町と何も変わらない町になるのかもしれない。せっかく、福岡でも稀に見る空気感をもつ町だから、京都のように特区扱いにしてせめて景観をくずさないような建築基準でも作ってもらえないだろうか。西中洲ラバーとしては、そんなことを願ってやまない。


1.西中洲の入口には「藤よし」「河庄」「安兵衛」というこの町の顔である老舗が軒を並べる。(撮影:平川雄一朗) 2.5/20発売になる「ソワニエ」。

取材・文:弓削聞平
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