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音楽を愛するすべての人たちに!アドバイザーが語る「muside」の魅力とは?(前編)

2024年12月04日 11:00

“音楽(music)を愛する全ての人のそば(side)に”という想いから開発されたアプリ「muside」。音楽活動を進めるうえで感じていた情報の少なさ・不便さを解消し、アマチュア・インディーズ音楽界をもっと盛り上げたい、もっと気軽に音楽を楽しんでほしいという願いから生まれたサービスです。

ライブハウス経営者でありながらバンドマンとしても活躍しアドバイザーに就任したお二人に、音楽に興味を持ったきっかけをはじめ、業界を支えるための考え方、ライブの現場から見た「muside」など、音楽への情熱を語ってもらいました。
 

――まず自己紹介をお願いします。

江川:LIVE HOUSE Queblick、LIVE HOUSE OP'sでブッキング担当、そしてLIVE HOUSE OP'sで店長をやってます。 あと、北九州を拠点にした「SHIMA」というバンドのボーカルで全国で活動しています。ラーメンが超好きです(笑)。

原尻:ライブハウスUTEROの店長をやっています。自分もバンドをしていて、今は「SACOYANS」というバンドのベースを弾いてます。


――みなさんのバンドですがジャンルは?

江川:「SHIMA」はメロコアといわれているジャンルです。ミクスチャーとかそんな感じです。ピンボーカルです。楽器は弾けません。

原尻:僕は歌えないです。

江川:バンド組めますね(笑)。


――ライブハウスの紹介をお願いします。

江川:LIVE HOUSE Queblickは11年前にオープンしました。ジャンルとしては特にこだわりはありませんが、仲良いバンドとかが多いのでメロコアやパンク界隈が比較的多いですね。コロナ禍(2021年)に、どっちみち潰れるなら前向きに倒れようと、コロナ禍にgraf跡地(grafは2021年に現在の場所へ移転)に姉妹店をオープンさせるというクレイジーな展開で・・・・・・。「そこの店長をお前が行け」とOP'sの店長になりました。僕たちにとって思い出深い場所なので、知らない人がするなら自分たちがという思いがありオープンさせました。
https://op-s.info/

原尻:UTEROもオールジャンルで、今年14周年目です。バンドやってただけでライブハウスで働いた経験がない中で、ひょんなことからライブハウス作るから店長やれよ!みたいな感じでスタートしました。作り方も機材も分からない状態からはじめ、なんとか14年続いています。ジャンル的にもディープな感じというか、ノイズ、アンビエントとか尖ったジャンルのバンドが多めに出ていました。今はアイドルやギターロック、シティポップなどオールジャンルですね。
https://utero.jp/

江川:移転されてましたよね?

原尻:以前は高砂にあったんですが、音の苦情問題で制限があり清川の方に移転しました。

江川:14年前から原尻さんが店長なんですか?

原尻:そうなんです。その時に残ってるスタッフはもう僕だけですね。今はもう全員変わっちゃって。

江川:共にオープニングスタッフですね!僕もQueblickのオープニングスタッフです。11年前にできた時に、僕は北九州に住んでたんですけど、ライブハウスができるってお呼びがかかって引っ越しました。
 

――お二人ともライブハウスで働いたとか経験はなく、いきなり店長を任されたんですね。

江川:最初は4人の社員がみんな店長っていう形でした。でも、まとまらずピラミッド型にした方が管理しやすいんじゃないかと、年功序列で僕が店長になりました。
 

――簡単な経歴を教えてください。

江川:幼い頃から音楽に携わることが多かったです。お笑いも好きで、性格的にもすごい目立ちたがり屋で・・・・・・。中学校の文化祭でグロッケンとタンバリンを担当して、初めてゆずの夏色バンドバージョンをやりました。中学卒業して、バイト先の先輩の車で流れていたHi-STANDARDでバンド音楽に目覚めたAIR JAM世代です。高校の時にコピーバンドで活動してましたが、バンドで生活できないだろうと最初から諦めてました。大学では勉強するというより軽音学部にだけ所属し、全国ツアーをしてライブハウスに入り浸っていましたね。その後もバイトの掛け持ちをしつつ、地元のライブハウスやツアーに出たりで。そんな中で今のオーナーがライブハウスしないかと誘ってくれて。

原尻:僕は楽器をはじめたのは高校2年ぐらいですかね。ギターを弾いていましたが、そんなに熱心ではなくて。練習はしてたつもりだけど、全然上手くなんなくて、全然弾けなかったです。興味持って楽器に触るぐらいな感じでした。高校3年の時に文化祭みたいなのにちょっとだけ出させてもらって。地元が大分なんですが、そこから専門学校で福岡に出てきました。その時からはほぼ趣味だけで、別にバンドも組んでいなかったです。

江川:音楽の専門学校じゃないんですか?

原尻:全然違っていてコンピューターグラフィックとかですね。僕の時代はまだハードロックとかが流行っていました。測量関係の仕事に就職しました。25歳ぐらいのときに友達とバンドでもやろうよとオリジナルのバンドを組んでましたが、本格的にはじめたのは30歳からですね。「UTERO」をスタートさせたのは35歳の時で、その5年間ぐらいはバンド活動をしていましたね。
 

――ライブハウスをはじめた経緯は?

原尻:専門学校の仲の良い同級生が仕事で成功していて、「ライブハウス作るけんやれよ」という無茶振りでしたね。遊び場というか。ちょうど自分も測量の仕事を辞めて、仕事探しのときだったんで、「じゃあやってみようかな」と今に至ります。


――お互いの印象を教えて下さい。
江川:音楽に詳しそうで玄人な感じがします。僕は目立ちたがり屋の延長でバンドやってるので、全然音楽のこと詳しくないんですよ。「UTERO」も同様で音楽が好きでこだわった音楽を聞いている人たちが出演されてる印象です。

原尻:逆に僕は目立ちたくないタイプなんです。江川さんは正反対の絶対バンドマンだなって分かります。「Queblick」ができたタイミングも覚えてますが、若いバンドはみんなあそこに出るみたいな。若いバンドが目標にしたいようなアーティストがツアーで来るイメージですね。


――音楽に興味を持ったきっかけは?

江川:父親がビートルズが好きでレコードを全部持っていました。兄の影響でユニコーンとかボーイとかを聞いていて、初めて買ったCDは小学3年生の時の奥田民生の「愛のため」にです。そして、中学2年の時に初めてフォークギターを弾きました。社会科の女性の先生が長渕剛を歌っていたんですよ。若くて、透明度の高い声で。ギターもしましたが、ボーカルしたいなと思って。そこからバンドしていますね。

原尻:テレビの歌番組で流れてる曲ぐらいしか知らなかったんですが、兄貴が当時CDレンタル屋に連れて行ってくれて。その時にジャケットを見てたら、聖飢魔IIのジャケットがあって。単純に「うわ、なんかすげえ変な奴らだな」と思って借りて聞きました。そこから、激しい感じというかハードロック(邦楽・洋楽)にハマりました。すごいハードロックを愛しましたが、その後にグランジ勢がハードロックを越えていった時がすごいショックでしたね。
 

――影響を受けたミュージシャンやジャンルは?

江川:社会科の先生のフォークソングです。あとは肉屋さんでバイトしてた時の先輩がかけてくれたHi-STANDARD。そこの横繋がりでTHE MAD CAPSULE MARKETSとか、日本のパンクとか影響を受けましたね。

原尻:1番初目に影響受けたのは聖飢魔IIですけど、ハードロックとかメタルが好きで聞いていました。自分がバンドしようってなった時に影響を受けたのはオルタナ系のバンドとか、Nirvanaです。Dinosaur Jr.やSoundgardenとかを聞いていました。自分のバンドに影響受けたのは福岡のバンドのPANICSMILEとか、あの辺に影響受けてます。
 

――現在の推しのアーティストを教えて下さい。

江川:地元で活動するQueblickやOP'sに出演してくれてるバンドです。地元で頑張ってるバンドたち全てを推したいですね。

原尻:一緒ですね。どんどん愛情というか愛着が湧くんで。下手だった演奏がどんどん良くなっていく過程も見ているし。
 

――日本の音楽シーンについて思うことを教えて下さい。

江川:見えている側面だけの話であれば、国民性なんですかね?みんながやっているからやる、みんなが聴いているから聴く、みんなが着ているから着る、そういうのは違うな。僕はノーセンキューって感じで、それぞれの好きを大事にしようぜって思いますね。

原尻:海外のインディーズで無名でもかっこいいバンドとかがUTEROに出演しているんですけど、国から補助金が出ているそうで。頑張っている人が活動しやすくなる支援があるといいですね。手助けする何かが生まれたら、もっと面白い音楽が世の中に回っていくと思います。

江川:それは僕も感じます。この前フランスのバンドが来てましたけど、国からそういう補助が出てるみたい。日本もそういうのがあればいいですね。

 

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