アート | ひと

(3)小石原焼/シンプルの中に宿る美

2021年09月10日 11:00

福岡県朝倉郡東峰村の小石原地区で作られる小石原焼。
標高1000メートルの山々に囲まれた自然豊かなこの土地で代々小石原焼の生産を行ってきた栁瀬本窯17代目、栁瀬眞一さんにお話しを伺いました。


●小石原の地に受け継がれてきた窯業
栁瀬家は約350年の間小石原の地で窯業を営んできた窯元。栁瀬さんは幼い頃から遊びの中にも粘土があったり、配達の手伝いをしたりと、小石原焼とともに育ったといいます。自然と家業を継ぐことを意識するようになり、高校は有田にある窯業科のある学校、大学は九州産業大学芸術科に進学し焼き物やデザインについて専門的に学びました。
もともと大学に行くつもりはなく、どこかの窯元で修行をしようかなと思っていたけれど、父親の勧めもあり進学したという栁瀬さん。しかしそこで出会った先生の「伝統は常に時代時代の最先端をいかなくてはいけない」という教えがその後に大きな影響を与えることになります。

 

●「用の美の極致」
小石原焼の特徴は幾何学的でモダンな技法にあります。代表的な技法として「飛び鉋(がんな)」「刷毛目(はけめ)」などがあり、小石原でとれる柔らかで上質な赤土はその独特な技法を生むのに適していました。
生活雑器を主とする小石原焼ですが、民藝運動家の柳宗悦がこの地を訪れた際に「用の美の極致」と絶賛したことで全国的に知られるようになり、近年もそのあたたかみのある表情で更に人気を博しています。その魅力について栁瀬さんはこう語ります。「器を買ってもらって終わり、ではない。買って帰って料理を盛って、料理が映えたよというお声をいただく。それで完成、やりがいを感じることができる。」正に用の美をもって小石原焼の魅力は発揮されます。

 

●増え行く窯元・伝統の継承
「小石原焼」の定義とは、小石原の土を使い、小石原で焼いたものを指すといいます。
以前は登り窯で焼いたものでなければならない、等もっと厳しい基準があったそうですが、現在は解釈も広がり、結果として窯元の数・焼き物の多様性も増していきました。
1960年頃には10未満だった窯元は現在44にまで増え(※2020年8月時点)、伝統を守りながらも新しい技法も取り入れ、発展を続けています。


●伝統技法「飛び鉋」
栁瀬さんが器づくりを行う様を見せてくれました。
まずは伝統的な技法「飛び鉋」。
内側はスピードを速く、外側は遅くすることにより均一に模様をつけていきます。

 

●小石原の土から始まる器づくり
粘土づくりは一部の窯元でのみ行われているそうですが、栁瀬本窯では土から粘土を作っています。土から器になるまでは長い工程。人の手を幾重にもかけながら、器は作られています。

 

●豪雨災害からの復興
2017年7月5日、東峰村を豪雨が襲ったことは記憶に新しく、今もまだあちこちで復旧工事が進められています。
当時のことを栁瀬さんに伺いました。「うちの店も中まで土砂と水が入ってきたけれども、もっと大きな被害が出たところももちろん多い。ボランティアが全国から集まり、土砂で埋まった器をひとつひとつ川の水で洗ってくれたり、窯を掘り出してくれたりと、本当にありがたかった。」支援の手は様々だったといいます。豪雨から約2週間後、県庁ロビーで器を販売しようという声が県庁内であがり、県庁職員が器を運び、販売が実現。3カ月後の10月には毎年恒例の「民陶むら祭り」も開催され、杷木インターから小石原までの道が車で埋め尽くされました。



小石原焼の存在も大きく、被害を大きく受けながらもみんな前向きだったといいます。
栁瀬さんも被害を受けた店をリニューアル。陶芸体験スペースを新たに設け、留学生や子供たちに陶芸の楽しさを知ってもらうプログラムを行っています。  
 


●つなぐ伝統と生まれる伝統
栁瀬さんは5年ほど前に「傳(でん)」というシリーズを立ち上げ、「呉須(ごす)」という顔料を使った黒・茶と白のコントラストが美しいモダンな器を作り始めました。「色を変えれば伝統の飛び鉋も違ったように見せられるかもしれない」という思いからうまれたデザイン。「伝統といっても、もとは誰かが始めたこと。自分がやっていることが30年・50年と続いていけば、それが新しい伝統になっていく。そんな仕事をしていきたい。」
そう語る栁瀬さん。後世へと継がれていくものづくりの醍醐味を垣間見ることができました。

【柳瀬本窯元】
●住所:福岡県朝倉郡東峰村小石原790
●電話番号:0946-74-2206
●営業時間:9:00〜17:00
●HP:http://www.yanasekamamoto.com/

関連するトピックスTOPICS

PAGE TOP