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3月6日(金)公開『Fukushima 50』佐藤浩市、萩原聖人、若松節朗監督が作品への思いを語る

2020年02月29日 08:00 by 筒井あや

2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。未曾有の危機にさらされた福島第一原発内に残り続けた名もなき人たちを海外メディアは“Fukushima 50”と呼んだ。あの中では本当は何が起こっていたのか?何が真実か?新たな時代に贈る超大作がいよいよ3月6日(金)に公開となる。

公開に先駆けて、主演の佐藤浩市、共演の萩原聖人、メガホンをとった若松節朗監督が来福し、T・ジョイ博多で舞台挨拶に登壇。作品に掛ける思いを語ってくれた。

——福岡の印象はいかがですか?

佐藤浩市:僕は「青春の門」という作品でメジャー映画デビューして、それから何故か北の男を演じることが多くて、九州の方に撮影に来る機会があまりなかったんです。ですが、昨年辻仁成さんの映画で博多にお邪魔して山笠の祭りの時に撮影をさせて頂きました。楽しかったです。

萩原聖人:僕は随分昔ですが、ある映画作品の中で「福岡ダイエーホークス」に入団したことがありまして、そこで王貞治会長が、まだ監督でいらして、村田兆治ピッチングコーチなど名球会の方々と野球の試合をすることがありました。夢のような、現実の話です(笑)。

——この作品を映画化された理由は?

若松節朗監督:この原作を小説家の門田隆将さんからいただいたのが2013年で、角川映画がこの作品を映画化すると決めたのが5年前です。原作自体が冒頭からかなり緊迫感のある感じで進んでいたので、これを映画化するのは大変だなと思っていました。まさか自分が監督をするとは思わなかったのですが、こういう事故があったということを語り継がなければならない。福島の作業員達が一所懸命頑張ってくれた生き様が素晴らしくて、映画化しようということになりました。

——それぞれ役作りで大切にしていたことは?

佐藤浩市:渡辺謙さんが演じられた吉田昌郎所長はマスコミにも出られていた方なので、覚えていらっしゃる方もいると思いますが、僕が演じた役にもモデルになった方がいらっしゃいました。この5日間の全てを僕らは結果を知った上で撮影に臨みましたが、当時、あの5日間、そこに実際にいらっしゃった方々は、1分一秒も先がわからない。わからずに最悪の事態を想定しながら、そこにいたという緊張感を、僕たちがどれだけ観て頂く方に伝えられるのか、その恐怖心を持ちながら演じていました。

萩原聖人:そうするしかないという極限状態にありながら、知性と理性を持って決断をしなければならない。そんな思いが伝わればいいなと思って、佐藤浩市さん演じる福島第一原発1・2号機当直長の伊崎利夫さんの背中を見て、みんな現場にいました。

——これから映画を観る方にメッセージをお願いします。

若松節朗監督:原子力発電は水で冷却しなければならない。その水が断たれる。地震と津波と一号基、二号基の爆発、観るにはとても辛い映像が続きます。でも最後まで観ていただけると、これが日本人の良さだとわかってもらえると思います。ぜひ最後まで踏ん張って観ていただけたらうれしいです。

萩原聖人:3.11当日もすごく寒い日でした。映画はものすごく熱い作品ですので、楽しんでご覧になっていただければと思います。

佐藤浩市:最後は桜のシーンで終わろうということになり、撮影は1月で終わりましたが、このシーンは本物の桜で撮影したい。だったら福島の桜で撮りたいというのは、監督以下みんながそうい思いで最後のシーンを撮影しました。桜のシーンを撮った富岡町は今でも帰還困難区域を有する町です。桜が散らずに僕ら撮影隊を待っていてくれました。その美しい桜を見た時に僕自身もとても複雑な思いが込み上げてきました。それをみなさんも感じていただけると思います。観るのが辛いシーンもあります。この映画をご覧になった後、外に出て町行く人々を見ると、去来するものがあると思います。こういった負の遺産を人間が少し前向きになることで、そうじゃない形の遺産に変えて、明日にバトンを渡したいなと思います。

 

配給:松竹、KADOKAWA
(c)2020『Fukushima 50』製作委員会

 

3月6日(金)『Fukushima 50』全国ロードショー

取材・文:筒井あや
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