映画トピックス

2/11(土)公開『サバイバルファミリー』矢口史靖監督インタビュー

2017年01月31日 18:00 by 筒井あや

いつも独自の視点で、私たちの好奇心をくすぐってくる矢口監督が今回選んだ題材は「もし、電気がなくなったら」。いつもはスイッチ1つで点く電球はもちろん、パソコン、携帯電話、冷蔵庫、電車、ガス、水道、乾電池・・・私たちが通常当たり前に使っているものが、ある日突然使えなくなったら、いったい人はどうなるのか?

原案、脚本、監督を務めた矢口史靖監督にインタビュー。

――電気がなくなった世界を描こうと思われたきっかけは?

きっかけは、逆恨みです(笑)。僕はずっと機械が苦手で、スマホを持っていないんです。実はこの題材は映画「ウォーターボーイズ」の次に撮る作品を考えていた時に思いついた企画だったんです。ちょうど、デスクトップパソコンが家庭に普及してきて、携帯電話も当たり前のようになってきた頃に、僕はついていけなかったんです。周りの人たちは次々に新しい機器を手にして使えるようになっていく。追い越されていくんです。どんどん取り残されていって、「そこまで便利になる必要があるかな?無くて良くないか?無い方がいいよ!」みたいなところから、いっそ電気がなくなっちゃった方がいいや、と思ったんです。でも現実にはできないので、それを映画にしちゃおうと思った事がきっかけですね。

――実際に撮影前、東京から鹿児島まで実際に行ってみられたそうですね。

自転車じゃないですよ。高速は走れないので(笑)。鈴木家のルートを車で走りながら、この辺で水が無くなるだろうという場所で、高速を降りて僕を含めスタッフ3人で水を探したんです。食べ物や飲み物はきっと売り切れているはずだという設定なので、ホームセンターに行って見つけたのがバッテリー補助液。精製水なんですけど、注意書きに「飲まないでください」と書いてあって、わかんないから飲んでみようって、みんなで飲みました。で、お腹が痛くなったらアウトだけど、大丈夫だったら使えると思って。飲んでも平気だったんです。それで映画に登場しました。それは猫缶もですね。これも食べました。あと草も食べましたね。草に関して言うと、サバイバル研究会の方に事前に食べられるものと食べられないものを聞いていたんです。食べられる種類はわかっていたので、道ばたの草を食べてみたりしましたね。

――電気がなくなったという設定を、家族という形で描かれたのはどうしてですか?

僕自身は、スマホを持っていないので、親戚とかをモデルにしました。子供たちも中学、高校生になるとスマホを持っていて全く親子で会話をしない。家族の風景が、前と全然違って見えたんですよね。「お母さん、あそこはどうやって行ったらいいんだっけ?」「お父さん、これどうやってやるの?」って、今まであった会話がないんですよ。全部スマホで調べられるから。しかも正確で速い。同じ家に住んでいるのに、視線は手元をじっと見たまま。それが僕から見るとすごくいびつな気がして、少し前までは違ってたのに。でもそれは戻そうと思っても戻せないんですよ。そのスイッチを強制OFFされて、何にも使えなくなった世界だと、家族はもとの自然な形に戻るしかない。結束しないと生きていけないですから。もともと人間は群れで生きる動物なので、サービスエリアで家族四人くっついて寝ているように、あれが本当の姿なんです。そうなって欲しいなと思ったので、家族を主人公にしました。

――小日向文世さんと深津絵里さんをご夫婦に、というキャスティングはどんなイメージでされたのですか?

この二人を夫婦にしよう、ということではなくて、最初に決めたのは小日向さんでした。クランクインの1年くらい前に小日向さんに声を掛けていたんです。これだけ顔が知られていて、日本を代表するおっさんなのに、絶対ヒーローにはならない。「何でも出来ます!」みたいな役は似合わない。何もできなくて、奥さんからも子供たちからも煙たがられてる。それがピッタリ合う。小日向さんだったら、サバイバル能力が全く無い、この人に着いていったら一番危ない!みたいなお父さんをやってもらえると思って、一番最初に声を掛けました。クランクインまで1年待たせてしまったんですけど、その間に深津絵里さんに声を掛けて。ずっと昔に、ドラマを撮った時に主演してもらったんですね。その時にわかったんですけど、深津さんは、チャンチャン!みたいな解りやすいコメディーではなくて、ボケっぱなしのユーモアみたいなことをやるんですよ。すごい面白い方で、そのくせシリアスな演技をすると、本当に命が危ないような線の細い演技も出来る。ユーモアとシリアスの両方を行ったり来たりする演技ができると思って、深津さんにお願いしました。

葵わかなさんと泉澤祐希くんはオーディションだったのですが、演じてもらったのは養豚のおじさんのところで、ご飯を食べるというシーンなんです。そのシーンは、特に台詞とかはなくて、あまりの空腹から、ご飯を食べられたことの幸せで涙するという場面。それがとても自然で。自然に演技するって、実はすごく難しいんですよ。キャリアを積んでいる人ほどわざとらしくなる。こういうことをするとOKが出る、という経験則が身についてしまうので。だから何もない二人の方が、自然なんです。こういう表情をすれば、こういう動きをすれば、ではなくて、とにかく本気で豚を捕まえる、本気で川を渡ろうとする、高速で自転車に乗ったら、うれしくてヤッホー!みたいになる。そういうまっさらな自然さが、この二人の決め手でした。

――最初は、電気がなくなったことを逆恨みで描こうと思ったと言われましたが、この作品が最終的に到達したのはどういうものになったと思われていますか?

入口は逆恨みで、「電気なんかなくなってしまえ!こんな面倒くさいもの」だったんですけど、そこから作った映画は、テクノロジーに対する逆襲ではなくて、家族の映画になったと思います。便利なものが全てなくなった状況に置かれて、この家族は仲良くなるんですけど、本来家族はそういうものじゃないかなと。映画を観終わったら、ケンカしていた家族も仲良くなってくれたらいいなと。そういう映画になりましたね。

 

取材・文:筒井あや
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