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映画トピックス

三好剛平のBEST BFG~映画「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」を見るべき4つの理由

2016年09月14日 08:00 by 三好剛平

映画「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」特集、今回は元・天神サイトの編集長にして、フリーペーパー〈シティリビング〉誌面で「三好剛平のBEST DVD」を連載中の、三好剛平さん(ラブエフエム国際放送株式会社所属)のレビューをお届けします。映画・音楽・アートなどをしこたま熱く語ることで知られている“歩く活火山”三好さんが、約4,000字(長い!)のレビューを寄稿。長いけど、読めば皆さんもきっと「BFG」を好きになっちゃう、興味をそそられる内容です。それでは、どうぞ!


 

映画「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」は有名な児童文学の映画化ですからわざわざネタバレ配慮も必要ないかしらと思いつつ、とはいえこのレビューでは巨人の結構重要な正体にも触れる(し、僕も映画鑑賞前に原作読んでてその巨人の正体を知ったときかなりグッときた)ので、もし貴方がいま「本作を見るかどうか迷っている」けど「事前情報はなるべく入れずに鑑賞したい」というなら、以降本文は映画をご覧になった後でお読みください。けど「それじゃ結局見に行くべきか分かんないじゃんか」と仰るならこれ一言。「間違いなく素晴らしい一本ですから今すぐ劇場へ行ってらっしゃい!(そしてその後これ読んでくださいネ)」と断言いたします。

てことで以下本文。どうぞお楽しみあれ。

 

■「BFG」×スピルバーグという完璧な相性

原作となる「オ・ヤサシ巨人BFG」は1982年に著された児童文学で、手がけたのは「チャーリーとチョコレート工場(原作:「チョコレート工場の秘密」)」や「ファンタスティックMr. FOX(原作:「すばらしき父さん狐」)」など映画化作品も多い作家/脚本家のロアルド・ダール。その物語を簡単に紹介すると以下のようなものです。

"真夜中のロンドン。児童養護施設で暮らすソフィーがこっそりベッドから抜け出して窓の外を眺めていると、突然目の前に巨人が現れ、さらわれてしまう。ソフィーを「巨人の国」に連れ去ったのは、意外にも紳士的で菜食主義者のBFG=ビッグ・フレンドリー・ジャイアント。彼もまた他の巨人からいじめられている心優しき巨人で、やがて二人は仲良くなるが、ある日、残忍な巨人たちが町へ繰り出して人間の子どもたちを食べてしまうという話を聞いたソフィーは、なんとか彼らを止めようと計画を立て―。”

かたや今回映画化を担ったスティーブン・スピルバーグは、知らぬ人はいない大監督ですが、ユダヤ人であり両親の離婚を深く自らの原体験として刻む彼のフィルモグラフィには、驚くほど一貫した作家性が透徹されています。すなわち『疎外された』『孤独な/迷子の少年たち(ロスト・ボーイズ)』が、互いに『言葉の通じづらい者同士で必死にコミュニケーションを試み』るなかで、『2つの孤独な魂がつかの間、お互いを絶対的に求め合い』『それによって生きのびることが出来る』。その先にあるのは『幼年期との訣別』であり、それを描く一連の演出にはひたすらに『活劇としての強いアドベンチャー志向と幸福感』がある。

上述の括弧書きのいずれか(あるいは全部)が該当するのが彼の映画であり、いま、あらすじを読まれた皆様が改めて「スピルバーグ、BFG映画化するってよ」と聞けば、なるほどこれ以上ないほどに“うってつけの原作”なんだな、と理解されることでしょう。

 

■原作に忠実でありつつ、スマートな改変が光る脚本

「いい映画をつくるには、とにかくすごい脚本が必要なんだ」とは『激突!(1971)』を撮った際のスピルバーグの発言ですが、実際、彼は映画づくりにおいて脚本をとても大切にします。そんな彼が今回脚本家として招いたのは、33年ぶりにスピルバーグとのタッグとなるメリッサ・マシスンであり、2人の協業の代表作といえば何と言っても「E.T.(1982)」です。

メリッサは、ひとつひとつの章が短く小話/挿話的なこの原作を映画脚本へ仕立てるべく、何度も原作者ダールの自宅を訪れ、彼の書斎で探究を重ねたと言います。結果、いくつかの場面こそ「(映画としての)活劇的な見せ場」に仕立てるための変更を加えましたが、基調としてはあくまで原作の精神を忠実になぞった脚本に仕上がりました。しかしそれら改変のなかでただ1点、筆者が注目した“ある改変”だけは、その手つきこそスマートなれど映画全体に及ぼす波及は非常に大きく、結果今回の映画化の成功をもっとも確実にするものだったと見ました。それは巨人の「すばらしい耳」の扱いです。

 

■「夢を聴く」を観客に信じさせる、ある男の完璧な仕事

当記事冒頭で「僕も原作読んでてグッときた」巨人の正体とは、実はこのBFGが、すやすや眠っている子どもたちの寝室に夢を吹き込む「夢吹き巨人」であり、その夢たちは、巨人の国の先にある「夢の国」で彼の大きな耳を頼りに“採集”されるものだった、というもの(「この二つの耳はな、おそろしく小さな音でも、一つとして聞き落とさないんだよ」「ちっちゃなアリが地面を這いまわりながら、おたがいに取りかわしている世間話も、わしには聞こえる」)。

この非常に童心を刺激してやまない&美しい設定を映画ではどう落とし込むか。結果は映画をご覧になってご確認ください、と言いたいところですが(実際この「すばらしい耳」の強調は、原作から変更された映画版のラストシーンで最終的にもう一度見事に回収されます。このあたりは是非原作と読み比べて楽しんで欲しい)、ここではひとつだけその素晴らしい成果を紹介します。

先にも述べた通りBFGは「夢の国」で、耳を頼りに夢を採集する。ソフィーとBFGが夢の国を訪れ二人で一緒に夢を採集するシーンは劇中でも中盤のハイライトに置かれているどころか、本編中もっとも美しく感動的なシーンとなっています(筆者は鑑賞中号泣)。それはここで描かれる“夢”こそが互いに“疎外されし孤独な者たち”である彼らにとって“希望”そのものでもあるからで、まさしくこの映画で最も重要な場面のひとつですが、さてこの最重要な、「耳からはじまる」「夢を採集する」場面をどう描くか―?召還されるのはただ一人、スピルバーグと40年以上タッグを組み、本作が実に28本目(!)の協業となる映画音楽(=耳)の巨匠、ジョン・ウィリアムズその人です。

この映画は鑑賞後まるでオペラかミュージカルのように、2時間の映画の進行にまるまる音楽が寄り添い続けた感覚を覚えるほど音楽の果たす役割が大きい映画でしたが(ウィリアムズ本人の発言も文末に紹介しています↓)、とりわけ上記のシーンでのウィリアムズの仕事は目眩がするほど美しく完璧で、まさしく「夢を聴いて」採集する巨人の感覚を、「夢の音楽」としてそれを響かせることで、観客の我々もまたその美しい感覚を信じ、共有出来てしまう。見るか迷っているという貴方も、とにかくこのシーンを見るためだけでも劇場へ足を運ぶ価値は十二分にあると言って良い。本当にすべてが美しい、忘れ難いシーンです。

 

■童心にかえり、目の前の映画に浸りきるよろこび

スピルバーグは一貫して劇場の観客を、目の前の映画体験へ引込むことに心を注いできた監督ですが、本作もまた、劇場の椅子に腰掛け本編が始まったその瞬間から、現実を忘れさせるたのしいファンタジーの世界へ誘われ、すぐにソフィーと10歳の頃の自分とを重ねて楽しんでもらえるはずです。僕なんかは見てる間中ああ、もう映画ってなんて幸せなんだろう、本当に本当にたのしいなあ、と何度も多幸感に震えたほどです。

また、主人公と同世代のお子さんがいるご両親には、是非彼らを連れて劇場へ行ってください。僕には2歳と0歳の娘がいますが、あの子たちきっとこのシーンは怖がるだろうなあとか、映画見た晩に寝つく際は夢を吹き込む巨人さんの話をするのかなあ、とか、いつか一緒にこの映画を見られる日が来るのが今から待ち遠しくて仕様がありません。

以上、随分長くなりましたが、貴方がこれを読んで、そこまで言うならひとつ劇場へ行ってみるかな、となってもらえたら、それほど嬉しいことはありません。僕もまた劇場へ行くつもりですから、その際には劇場で、感想をきかせてくださいね。

【参考資料】
「オ・ヤサシ巨人BFG」ロアルド・ダール著(評論社)
「スピルバーグその世界と人生」リチャード・シッケル著(西村書店)

 

■本作の音楽づくりについて
本作の音楽づくりについて、スピルバーグは、

「僕はまずジョニー(=ウィリアムズ)に映画のストーリーといくつかのカットを見せる。すると彼は8週間後、今度は彼で解釈した“音楽的なストーリー”としてそれを聞かせてくれたんだ。まるで音楽で脚本を描くように、僕が語ったストーリーや会話のイメージから受けた印象に応えるものを的確に配してね。いわば彼は8週間をかけて“ジョン・ウィリアムズのBFG”を編み直して応えてくれたんだよ。その音楽は繊細さと輝きに満ちていて、さながらプロコフィエフの「ピーターと狼」(※)のようだった。すべてが音楽的に結ばれていて、あらゆる瞬間が音楽的な想起に満ちている…、まるで映画と、さらに上のレイヤーでもうひとつの物語が語られているようだったよ。」
(以上筆者訳、参照元 https://youtu.be/sNKBigFJYyE 7:17〜)

※プロコフィエフの「ピーターと狼」…20世紀初頭に活躍したロシアの作曲家であるセルゲイ・プロコフィエフが1936年、自ら脚本も書き、ナレーターつきの「子どものための交響的物語」として発表。1946年にはディズニーによってアニメーション映画化されている。

かたやジョン・ウィリアムズはこう応えている。
「はじめにBFGを音楽的に表現するのは非常に難しいと思ったんだ。そしてスティーブンに、これは“こどものためのオペラ”か、あるいはこどもたちが踊る“こどものためのバレエ曲”のようになると言ったんだよ。というのも劇中で彼らは網を持って夢を追いかけ回すだろ?それはまるでレイ・ボルジャ―かフレッド・アステア(※)のダンスのように見えたし、それが素晴らしくミュージカル的でね。まるで一連の振り付けられたシーンのようだったからこそ、これは音楽側としてももっと映画に、音楽的に寄り添わないといけないと思ったんだよ。」
(以上筆者訳、参照元 https://youtu.be/9x8z-gspfF8 0:05〜)

※レイ・ボルジャ―かフレッド・アステア…いずれも1930年代以降活躍したハリウッドを代表するミュージカル俳優。

 

取材・文:三好剛平
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