映画トピックス

実際にあった日本とトルコの交流を描いた『海難1890』出演の内野聖陽さん、忽那汐里さん、田中光敏監督が来福!

2015年11月13日 18:00 by 筒井あや

日本とトルコの友好関係の礎となったエルトゥールル号遭難事件とイラン・イラク戦争でテヘランに取り残された日本人脱出劇を題材に描かれた映画『海難1890』。エルトゥールル号の乗組員の介抱に奔走する医師役の内野聖陽さん、事故で許嫁を失い、口がきけなくなった田村の助手役とテヘランの日本語教師役の二役を演じた忽那汐里さん、企画者である田中光敏監督が来福し作品の魅力を語ってくれました。

●今回は一通の手紙から作品作りが始まったということですが、どんなことが書かれていたのでしょうか?
監督
手紙の主は大学の同級生でした。10年前に本当にエルトゥールル号が座礁沈没した串本町の町長です。町の勉強をしていたら、どうしてもお前に伝えなければならないことがあると言って、そこに書かれていたのがエルトゥールル号の話でした。自分の町の村人たちがとても献身的に救ったこと、そして日本人としてこの話は誇れることではないかということ。ただ、うちの町には金がない。ということが書かれてあり(笑)、最後に映画にならないかということが書いてありました。

●内野さんは撮影に入る前にエルトゥールル号が実際に座礁した現場に訪れたり、当時の治療の記録などをご覧になられたそうですが、それらを見てどのようなことを感じましたか?
内野
当時、大島に3人の医師がいて、その医師たちは治療した後、トルコ政府から治療費と薬代を請求して欲しいという申し出を断った。私達は目の前で苦しんでいるトルコの人が見るに見かねて、手をさしのべただけであって、そうしたものを最初から要求していない。そのお金があるんだったら、むしろトルコの遺族のために使ってくれと綴られたトルコ政府に宛てた実際の手紙を拝見して、感銘を受けました。なんてすごいお医者さんたちがいたんだと。それを僕が演じる田村医師のキャラクターの基礎にしました。

●人への思いやりという小さな人間関係から国交という大きな人間関係までが描かれています。改めてこの作品から受け取ったものがありましたか?
内野
僕らが台本を読んで想像していたことを遙かに超えるイメージを監督は持っていらしたんだなと改めて田中監督のすごさに敬服したことがひとつと、名もない漁民たちが異国の人々に手をさしのべる勇気、海の中に入って助けたり、色んな勇気を振り絞ってやったことが、トルコとの友好関係に繋がったということは、とても奇跡的な出来事だったと。なので、この映画を観てくださる人が、一人でもそういうシンプルなメッセージを感じてくれたらうれしいなと思いましたね。
忽那
今回日本とトルコの合作という形で作品を作れたということが、作品としても俳優としても、可能性を広げてくれました。全く馴染みのない文化の方々と一緒に仕事をするということは、他の作品ではなかなか直面しない壁があって、立ち止まって話し合うことも何度もありました。撮影中はお互いを尊重しながらも、自分の国に誇りを持っているところは、ちゃんと主張する。撮影が進むにつれて当時の方と心境が重なっていったというか、それなくして作品は絶対完成はなかったと思います。とてもいい経験をさせていただいたと思っています。


遠い昔の日本で、目の前の困っているトルコ人たちに必死で救助した事実があった。そして、その友好関係はのちの日本人の救出劇へと繋がってる。小さな町の人と人の交流が、国交という大きな交流に繋がった。感動を超えた、事実の物語。




「海難1890」

【あらすじ】
1890年9月、親善のため日本訪れていたトルコ船「エルトゥールル号」は台風により沈没した。500名もの乗組員が犠牲になったものの、村民の献身的な救助活動により、69名のトルコ兵が無事トルコに生還を果たした。
それから95年後の1985年。
イラン・イラク戦争のさなか、サダム・フセインはイラン上空を飛ぶ航空機に対し無差別攻撃を宣言。日本政府はテヘランに残された日本人を救出できずにいた。その際、在テヘランの日本人を救出したのはトルコの航空機であった。トルコ国民は、95年前、「エルトゥールル号」乗組員を日本人が助けてくれた事実を受け継いでいたのだ。

【公開】2015年12月5日(土)より、T・ジョイ博多、ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13ほかにて全国ロードショー

【オフィシャルサイト】http://www.kainan1890.jp/

取材・文:筒井あや
このライターの他の記事を読む

PAGE TOP