屋台の歴史

昭和20年初頭 福岡に屋台登場
昭和24年 GHQによる取締り

裁判で「昭和30年3月31日で屋台全廃」命令
昭和25年 屋台事業者が「福岡市移動飲食業組合」を結成、行政や警察に交渉
昭和30年 県会議員・河田琢郎氏による屋台全廃反対運動

屋台全廃を逃れ、許可制に
昭和31年 博多移動飲食業組合設立
屋台営業許可に関する県条例が施行
昭和37年 道路使用許可の取り扱い要綱が決定
昭和45年頃 屋台代数全盛期
軒数が400軒程度に
昭和48年 天神地下街建設工事に伴う、一時休業についての基本協定を締結。
昭和50年 天神地下街工事完了による遊歩道計画に伴う屋台営業について福岡市・中央署・九電、屋台組合の合同会議開催
昭和54年 屋台における「なまもの」販売について市当局と協議販売禁止を再確認
平成1年 アジア太平洋博覧会(よかトピア)開催に協力
平成7年 警察より「道路使用許可は一代限り」の申し入れ
平成8年 福岡市桑原市長の諮問機関「屋台問題研究会」発足
平成10年 地下鉄工事による一部屋台移動
平成12年 「福岡市屋台指導要綱」施行道路占用許可を与え、規制しつつも合法的に認可
平成17年 地下鉄七隈線工事などに伴い、仮移転していた屋台が復帰営業
平成19年 吉田市長に屋台一代限り撤廃要望
平成23年 平成22年の福岡市暴力弾排除条例に伴い、要綱を改正
福岡の食文化の代表 屋台。一日の疲れを癒してくれる存在は、実は戦いの歴史を抱えているのです。

屋台大国 福岡。地元に根付くディープグルメゾーン
日が暮れる頃、街のあちこちにぽっ、ぽっと小さな明かりが灯りだす。小さなハコに架かる暖簾をくぐる者を、あたたかな食べ物とにぎやかな会話が待っている。
福岡の観光スポットのひとつとして、また街の風物詩として観光客や市民に愛され続ける「屋台」。その数は日本全体に存在する屋台の約半数を占めると言われるほど多い。現在、福岡市内で営業する屋台数は154軒。うち、約半数を占める65軒がここ天神界隈に存在している。

福岡 博多の屋台の始まり戦後復興の証だった屋台
終戦直後一気に普及した屋台。しかし社会の復興とともに衛生面や場所、美観等の問題から厚生省・各都道府県の自治体による厳しい規制が敷かれ全国的に屋台は衰退する。戦後の外地引揚者や失業者が始めた移動式飲食店が発祥と言われる福岡の屋台も、他業種への転換の指導をする行政によって全面廃止の方向が取られていった。
日本全体で屋台が衰退していくなか、福岡では経営者たちが集い「屋台の灯を消してはならぬ」と立ち上がった。1950年代には組合が結成され、存続運動や裁判等でその存在意義を主張。
1955年には厚生省の通達により法的にも全国で屋台営業を許可する方針が明示され、存続が認められることに。福岡においては1970年代のピーク時には400軒を超えるまでに成長した。その後も食品衛生法や道路交通法などさまざまな法的許可内容が制定され、現在の屋台の規模規格もこのころ決定した。

問題山積。のれんを下ろさざるを得ない屋台たち
一方、規制が敷かれることとなった衛生面での問題がなくなったわけではなく、さらに歩道の占拠や悪臭、近隣への騒音などといった問題も山積。1994年には県警が「現営業者一代限りとする」との方針を打ち出し屋台の名義変更・譲渡を禁止することに。これにより屋台営業は「一代限り」となったため、経営者の高齢化によってのれんを下ろさざるを得ず廃業屋台が相次いだ。また、新規参入もこの規制では不可能なため、現在の軒数が減ることはあっても増えることはありえない。このままでは福岡の屋台はなくなってしまうと懸念されているのだ。

屋台の問題点の解決を軸に、諮問機関が登場
全国初の「屋台指導要綱」施行しかし福岡では、1996年8月に福岡市長の私的諮問機関として「屋台問題研究会」なるものが発足している。これは「屋台を都市問題としてとらえ、今後の屋台のあり方について幅広い観点から検討する(平成10年1月「屋台問題研究会」報告書より)」もので、学識者や住民、道路管理関係者が研究会の委員として参加。発足当初の研究会の意向は必ずしも「存続」ではなくフラットに屋台のあり方を問うものだったが、市民や観光客への意識調査によって「福岡らしさの象徴」「観光スポットとして貢献している」などといった声が多く聞かれたこともあり、屋台の適正化への取り組みの必要性と1998年に「屋台問題研究会報告書」として発表。これをうけた市が屋台経営者、警察等と協議を重ね2000年には「屋台指導要綱」を施行。長年問題とされてきた道路占用許可等もこの要綱に基づき許可されるように。

幾度の危機を経て、今も残る屋台の未来とは
「ちゃんとルールを守って真面目にやっている屋台がほとんどなんだよ。規制も大切だけど、今の屋台の経営者ができなくなったら廃業という「一代限り」ルールでは、本当に福岡の街から屋台が消えてしまう。このともしびを消さぬよう、何とかしてがんばっていきたいんだけれど…」とは、福岡移動飲食業組合・組合長であり、屋台「よねちゃん」店主の米倉浩三さん。
しかしここで今、新たに希望の光が見えてきた。昨年福岡市長に新任した高島宗一郎氏が6月20日の市議会で「福岡の街に屋台を残すべき。課題を克服し共存の道を探りたい」との考えを正式に表明したのだ。今後は検討委員会を立ち上げ議論していくという。
福岡の街に当たり前のように存在している屋台が消える日が、このままでは必ずやってくる—長い歴史の灯が消えつつある屋台の今後に注目したい。