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映画『悼む人』の高良健吾さん、石田ゆり子さんが来福しました

2015年02月10日 08:00 by JUN

ベストセラー作家・天童荒太さんによる直木賞受賞作「悼む人」が、堤幸彦監督の手により映画化されました。

主人公・坂築静人(さかつき・しずと)は、日本全国を巡礼のように旅しながら、亡くなった人が生前“誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されていたか”を憶えておくという、死を“悼む”行為を続けている。彼をそこまで駆り立てるものは一体何なのか? 本作では、静人の歩みを通して、生きること、そして、死ぬことという、非常にデリケートなテーマが描かれています。

2月14日(土)の映画公開に先がけて、坂築静人役の高良健吾さんと、突然の出会いから静人の旅に同行する奈義倖世(なぎ・ゆきよ)役の石田ゆり子さんが来福しました。

◇◇

高良健吾さん:
 静人がやっている“悼む”行為は、もしかしたら批判されることかもしれないと僕は思っていて、彼の行為によって傷つく人もいるかもしれないし、逆に救われる人もいるかもしれない。普通に煙たがる人もいると思います。だけど、僕は静人がやっていることや人間性を否定されたくないんですよね。だから、その為にはどうやって演じたら良いんだろうということを、堤監督としっかり話し合いました。
 静人を演じるにあたって考えたことは、「静人をどう演じるか」よりも、「静人はどういう風に、この映画の中で存在したら良いのか」ということ。静人は人にアピールしたり、褒められたりしたくて“悼む”行為をやっている訳ではありませんから、やり過ぎ感が出てしまうと、彼の“悼む”行為が一気にクサいものになってしまいます。だからそうならないよう、また、彼の人間性がブレないように気を付けました。正直なところ、静人はほとんど主観で演じていて、客観性が無かったと思います。それが結果的に正しかったのか正しくなかったのかは分かりませんが、僕が思う静人を、“彼ならこうするだろう”と演じただけ。そういう気持ちを持ちながら、説明くさくならないように演じました。

石田ゆり子さん:
 私は原作を読んだ時にとても感銘を受けて、倖世役に立候補しました。ただ、それが叶って嬉しかった反面、自分で立候補したにも関わらず、倖世の人生を想像しても想像しても想像し切れず、倖世の悲しみや辛さをどうやって演じたら良いんだろうと、あまりの役の難しさにとても悩みました。でも結局のところ、考え過ぎず、技巧的にならずに、この映画の撮影期間は自分の人生を倖世に捧げよう、という答えが出ました。
 「悼む人」は、年齢、その人の境遇、その時の気分の違いなどによって感想が異なる映画で、やはり賛否両論あります。でも本来、映画とはそういうもので、観やすい作品ではないかもしれないけれど、お腹の中に眠っている何かをかき混ぜるような、そういう激しさも持っています。そんな映画に参加できて本当に幸せだったと思いますし、観た方には、本当に正直に忌憚のない意見を教えてもらえたらなぁと思います。
 “誰に愛され、誰を愛し、何をして感謝されていたか”というキーワードが映画の中に出て来ます。それは、亡くなった人の人生の暗くて悲しい面ではなく、全肯定して明るく愛情のある部分を覚えておこうとすること。私は原作を読み、映画に携わることでこの考え方を知ることになり、今までほとんど真面目に考えたことが無かった“悼む”という気持ちを持って生きていきたいなぁと思いましたね。

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【あらすじ】
 坂築静人(高良健吾)は、不慮の死を遂げた人々を“悼む”ため、日本全国を旅している。そんな彼と山形のとある事故現場で出会った週刊誌記者・蒔野抗太郎(椎名桔平)は、偽悪的なゴシップ記事を書き続ける、猜疑心の塊のような男であった。蒔野は静人の不可解な行動=“悼み”に疑念を持ち、静人の化けの皮を剥ぐべく、彼の身辺を調べ始める。
 同じく山形。静人は、家庭内暴力を受けた女性をかくまい“仏様の生まれ変わり”と言われた甲水朔也(井浦新)の殺害現場で、甲水の妻・奈義倖世(石田ゆり子)と出会う。夫の亡霊に苦しむ倖世は、静人の真意をいぶかりながら、自分が夫に手をかけた事実を告げぬまま、救いを求めて静人の旅に同行する…。

【公開】2014年2月14日(土)より、T・ジョイ博多、ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13ほかにて全国ロードショー

【オフィシャルサイト】http://www.itamu.jp/




©2015「悼む人」製作委員会/天童荒太

取材・文:JUN
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